富山の置き薬という先用後利型ビジネスモデル
1938年生まれの母が福島県に住んでいた小学生だった頃、家には富山の置き薬があり、家族でそれを使用していたと聞きまして興味深いビジネスモデルだと思いました。ですので、今日は富山の置き薬というビジネスモデルについて3つの視点でお話しします。
注釈(富山の薬売りのスタートについて):
17世紀終期、富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発された。これが富山売薬の創業とされる。しかし、この頃既に反魂丹は存在し、生産の中心地は和泉国(現在の大阪府)であった。1690年に江戸城で腹痛になった三春藩主の秋田輝季に正甫が反魂丹を服用させたところ腹痛が驚異的に回復したとされる「江戸城腹痛事件」という巷談がある。このことに驚いた諸国の大名が富山売薬の行商を懇請したことで富山の売薬は有名になった。(wikipediaより)
1 おまけ(特典)をつける(富山が生んだ日本初の販促ツール)
母「年に1回くらい、富山の方から置き薬屋さんはうちに来たの。小学生低学年だった私は、置き薬屋さんが持ってくる紙風船が嬉しくてね。折り紙のような紙でできていて、でも折り紙より大きいから、おまけとして自社でおまけとして専用に作っていたんだと思うよ。来るたびに、2個くらい赤い紙風船をくれたよ」
そうです。何でも鑑定団に出演されている北原照久さんは「おまけ」の博物誌』(PHP新書)で「おまけ」のルーツを求め、「富山が生んだ日本初の販促ツール」と書いています。子供は置き薬屋さんが来るときに手渡しでもらえる紙風船に心を奪われ、子供が喜んでいる姿を見た親も置き薬屋さんのファンになる。紙1枚でできた紙風船という「おまけ(特典)」でファン作りをして、リピート訪問して家に上がることを容易にしていたのです。もっと昔のおまけとしては、売薬版画(浮世絵)で、歌舞伎役者絵、名所絵(風景画)もあったそうです。
2 先に使っていただき、後で使った分だけの料金を支払うシステム(先用後利型ビジネスモデル)
母「多分ね。あれは桐の箱だったと思うよ。桐の箱の中に薬がいっぱい入れてあって、頭痛があった時に父に許可を得てから、桐箱の中の頭痛薬を1つ飲んだの。それがとても効いたの。」
先に価値(桐箱と薬)を与えて、薬を使った分だけの料金を支払いって、また桐箱に薬を補充するというビジネスモデルです。用いることを先にし、利益は後から=「先用後利」と言います。医薬品を前もって預けて必要な時に使ってもらい、代金は後日支払ってもらう先用後利のシステムは画期的で時代にも合いました。(今ですと、オートロックの家に入り込むのは困難を極めます) ちなみに富山の置き薬というビジネスモデルを外国人に話したら、「うちの国だったら、薬は全部誰かに取られるし、桐の箱さえ1日で無くなるよ」と言われたことがあります。そうです。かなり勇気が必要なビジネスモデルですね。
3 社会貢献型のビジネスモデル
近くに医者がいない、病気でなくなる方も多かった、誇大広告の薬売りが多かったという時代に、「済世救民」(困っている人を助けて世の中を助ける)の志のもと、富山の薬売りというビジネスモデルは薬の配置を通じて庶民の健康増進に貢献し、富山藩の財政に貢献するとともに、地場産業に従事する者へ収入を生み出しました。つまり、売り手よし、買い手よし、世間よしの三方よしを実現していました。一言で言うと、社会貢献型のビジネスモデルですので、これだけ世にひろまったのでしょう。
最後に、
「人の物は取らない」という日本の道徳的心があるからこそ生まれたであろう、富山の薬売りというビジネスモデルは、とても興味深かったです。今回、インタビューに協力してくれた母に感謝しました。写真引用元:人と薬のあゆみ http://www.eisai.co.jp/museum/history/b1300/0200.html
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